被災地にクライマーを送る会
2011年4月17日日曜日
新戦力
17日から、岩手大学学生ボランティア団体「天気輪の柱」がYMCAのボランティアとして参加することとなりました。初日の17日の参加は、大学2年生から4年生の総勢17人。極道なオッサンばかりのクライマー集団と異なり、とにかく若い! 宿泊場所もなく、また余震が続き、停電もあるため、盛岡から毎日バスで通ってのボランティア活動です。
この日は、初回ということで、男女混成の2~3名グループで教会周辺のニーズ調査を実施。
わずか2時間程度で6件のボランティア依頼を集めてきました。
ボランティアリーダーとして、活躍する日も近そうです。
床下の泥さらい、食器洗い、側溝の掃除・・・依頼も様々です。
明日からは、貰ってきたニーズの作業をやっていきます。
岩手大学の17名と、佐久間、木下
2011年4月9日土曜日
津軽石&赤前(2011年4月2日、7日)
鉄筋コンクリートのアパートが根こそぎはがされて、横たわっていた。
何もない。何からすればいいのか。
しかし、住民たちは前に進もうとしている。
1階がなくなった家の外に洗濯物が干されている。
津軽石駅には宮古行の列車が止まっていた。
あと1駅が走れなかった。
根こそぎはがされた線路。JRはすべてを復旧すると断言しているが、
ここまでの被害を見れば、そのまま復旧しないと疑心暗鬼になる住民の気持ちも分かる。
2011年4月8日金曜日
宮古の街
少しずつ瓦礫が片付いてきました。
津波の傷跡も多いが、他の街と違い、海から遠い場所は変わらぬいつもの風景が広がっています。
そこでは震災前から普通の生活が営まれています。
市場にいけば、豊富な食材が出迎えてくれる。種類も量も東京以上だ。
その中に復興から取り残される老人たち。こういう人たちがいなくなってはじめて復興と言えるのでしょう。
床板はがし作業をするボランティアの石関さん。地味だが、力と床板を壊さないような丁寧さが必要な作業。
「出勤」準備中のクライマー集団
現地では、日々ニーズも大きく変わり、多様化してきます。
その調整をするため、そしてボランティアセンターの運営方法について、毎日熱い議論が交わされます。
お疲れのエッチー。ボラセン唯一の大工。東京に帰る日は決めていないとのこと。
困っている人たちがいる限り、ここに残り続けるのか?
愛宕の春
悲しすぎる…。
YMCAの現地コーディネータ、内田氏。
がれき場のピアニスト。捨てられたオルガンで曲を奏でる。
重機の音しか聞こえない街で、暖かい音色は心に響く。
床下の泥さらい作業も終盤。
瓦礫の街の中に、宅急便の車がやってきました。
震災前の日常生活が始まりつつあります。
2011年4月4日月曜日
巨大防潮堤の街・田老(2011年4月3日)
4月になったが三陸には冷たい雪が降る。
すべてが流されたここでは、まだ立ち入り禁止のところも多い。
自衛隊の仕事はあってもボランティアが出来る事は無い。
新しい生活も始まろうとしている。
10km離れたグリーンピアの敷地内では急ピッチで仮設住宅の建設が進んでいる。
宮古・新川町&向町(2011年4月2日)
歩道橋にお人形さんが持ち主の女の子の帰りを待っていた。
その目はどことなく寂しげだ。
この建物は、どこから流れてきたものだろうか…。
商店街もこの有様。どこから手をつければいいのか…。
2011年4月3日日曜日
宮古・鍬ヶ崎町(2011年4月2日)
暴力的にすべてを奪い去った波の爪痕は、あまりにもむごい。
この町を走る自衛隊車は、この町の一筋の希望の光だ。
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