2011年3月18日金曜日

2011・東北関東大震災 支援ボランティア要項

「被災地にクライマーを送ろう」
―2011・東北関東大震災 支援ボランティア要項―


目的:被災地でも自立した生活ができる人間として、復興支援ボランティア活動を行う。
現在は、岩手県宮古市で行われるYMCAの活動を支援する。
   
活動場所:日本基督教団宮古教会 森分和基牧師
       岩手県宮古市大通1-4-5 

YMCA:盛岡YMCA 濱塚主事

「被災地にクライマーを送る会」:連絡先 角屋貴良(かどやたから)  climber311★gmail.com
(メールを送る際は、★を@に変えてください)

主な活動内容:
教会および宮古市内の支援を必要とする方々のサポート。近隣の聞き取り調査。

ボランティア期間:(現地入り、現地発)
 第1陣;3月23日~3月28日
 第2陣;3月28日~4月3日
 第3陣;4月2日~4月7日
 第4陣;4月6日~4月12日
 第5陣;4月11日~4月17日
 第6陣;4月16日~4月21日
 第7陣;4月20日~4月26日
 第8陣;4月25日~5月1日   

*いつまで送るのか・・・一般のボランティアが入り、安定的な支援活動ができるまでを目途に・・・。

持ち物:生活用具(日に日に環境はよくなっているので、行くチームにより変化)
    使い捨ててもいい作業着 長靴 作業用手袋 マスク 寝袋 マット ヘルメット(あれば)


     食料は、現地で購入可能なので、特に必要ありません。
      (現地で購入して、お金を落としてあげてください)




(参考情報)


「ニーズが日々一刻一刻変わる」:「がれきの山を片付けるのを手伝ってくれ」と頼まれて、次の日に人数を揃えて行ってみると、がれきの山は重機できれいに撤去されていた。避難所では昨日足りなかったものが、次の日は余るほど届いていた。
「地域の温度差を感じる」:宮古では山に近い地域ではほとんど被災していなくて、朝にはネクタイを締めて普通に出勤していく姿が見られる。海辺の人は「山のほうの人は何も助けてくれない」とつぶやく声も・・・。「近くに被災していない人がいるのに、我々はなんでこんなに遠くまでやって来たのか」と思ったそうだ。実際は被災していないように見える人たちってどうなんだろうか。こちらに目を向けてみる必要もあるのかも。
「自ら行動しなきゃ何も始まらない」:拠点ではスタッフコーディネーターが仕事を与えてくれるわけではない。自分たちで仕事を見つけ出すのだ。だから指示待ち人間にはできない。コミュニケーション能力は必要。無ければ偶然助けを必要としている人に巡り合うまで、ひたすらさ迷い歩くしかない。
「ボランティアのイメージを膨らませすぎていた」:我々はクライマーだから、たとえばレスキュー活動や、行方不明者の捜索、がれきの撤去作業等、派手な仕事を想像して、イメージを膨らませてしまった。しかし現地に行ってみると、実際は地道な聞き取り調査等が主な仕事だった。「なんで俺たちが・・・」とおもった。しかし「被災地で自活できる」という1点において、クライマー・山屋なのだ。非常に改善された今の拠点の現状でも、一般ボランティアの半数は耐えきれない。
「最後のほうは自分もおかしくなっていたのかなあ」:悲惨な現場に行って、非日常的な生活を、初めて会った人とともに1週間も過ごしていれば、最後のほうは他人のちょっとしたことが気に入らなくなったり、自分自身ひどく落ち込んだりすることはあるものだ。今回の参加者も、振り返ってみて多少自分の異常に気が付いていたようだ。
「本当に自分は必要だったのか」:日々大変だったが、成果を振り返ってみると大したことはなかった。本当に自分は必要だったのだろうか、という感想。でも今は人力頼みなんだもの。1週間でそんな大きなことはできないよ。でも「塵も積もれば山となる」でいいじゃないか。それが必要なんだと思う。
これは別の現場の人に聞いた話。
「出発前のテンションが高すぎた」:居ても立っても居られない気持ちで、とりあえず現場に行ってしまった。心だけではなく、頭も熱くなっていた。現場に行ってみると、あまり歓迎されている雰囲気ではない。やってみても、自分の生活で手いっぱい。落胆して帰って来た。


「どんなボランティアが望ましいか」と書きましたが、必須条件というのもあります。そのうえで「望ましい」ことも加えられます。以下に書くことは、私の知識ではなく、今回一生懸命勉強して得たこと、または今回の参加者から得たもので、何かの資料のコピーも含まれるかもしれませんが、どうぞ確認してください。
自活できること:これは必須条件です。被災地では救援物資もままならない状態だと考えたほうがよいでしょう。「行けば食料や寝るところは与えられる」と考えていくと大間違いです。そういうことで現地を頼ると、現地では大変なお荷物になってしまいます。しかし、我々の活動拠点では、今現在、クライマーや山屋にとっては、山の生活を考えればむしろ「快適」と言えるほど整備されてきたそうです。第1陣、第2陣に感謝します。
被災者の目線で見ることができるということ:被災者にとっては被災地は「わが町、わが故郷」、我々にとってみればごみの山に見えても「かけがえのないもの」、被災者は単なる「被災者」ではなく、ひとりひとりバックボーンの違う「個人」です。その人と同じ目線でみて、感じ取ることができることが大切です。
協調性が大切:被災者に対しても共に働く者に対しても、協調性が大切です。勝手な行動、自分の考えの押しつけ、相手を否定するような言動は被災地で受け入れられないとともに、一緒に働く者を傷つけたり、気持ちよく働ける環境を無くすことになります。
精神的にタフであれ:といっても、いまさら性格は変えられないかもしれません。1週間も非日常生活を続けていると、誰でも多少は普段の精神状態とは違ってきます。しかも被災地の現状を目の当たりにしながら、初めてあった人たちと過していれば、そうなるのも不思議ではありません。じわじわと自分の精神状態がくるってくることは、多くの災害ボランティア経験者が語るところです。真面目な性格の人は特にそうなりやすいようです。「小さいことは気にするな」。とはいえ被災者に対しては細かい気配りが必要です。しかし、共に働く仲間に多少気になることがあっても、少しぐらいボランティアの組織がうまくいってなくても、「小さいことは気にするな」ということです。誤解を恐れずいうと、我々が目いっぱいがんばったところで、それは被災地が完全復興するまでのエネルギーからすれば何万分の1です。もちろん頑張るのですが、頑張りすぎて自分の精神状態がおかしくなってしまっては、出せるエネルギーも半減してしまうし、「良かれ」と思って発言しても、いらいらしながら発言するのは、かえって混乱を引き起こすことになります。おおらかさも必要です。
復興の主役は被災者自信:復興させなくてはいけないのは、被災者の町、被災者の生活です。我々はそれを支援するのです。あくまでも我々は支援者であり脇役です。主役は被災者本人です。そういう気持ちが必要です。
災害ボランティアのベテランはいない:といっても本当はいるかもしれません。しかし、こんな災害は人生の中で何度もあるものではありません。だから拠点のコーディネーターにしても、初めての仕事かもしれませんし、経験者であっても、それほど現場を経験できるものではありませんし、ニーズはそのたび、その地域で違ってくるのです。だから皆手探りでやらなければならないのです。皆で作り上げていくのです。人の指示を待っていてもやるべきことは生まれません。自分で探し、自分で考え、そして皆で話し合うことが大切です。

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