2011年4月28日木曜日

ボランティアは単なる引っ越し屋になってよいか

夜の懇親会での話。
「最近、単に便利屋として使われているのではないかと感じることがあり、自分の気持ちと葛藤することがある」
「男手が二人いて、車もあるが、次から次へと作業を依頼されるが、一見、被災者の方自身でできるのではないかと思う。単身高齢者世帯の方で、昼間も避難所から外出せず途方に暮れているような方をもっと見つけ出して支援すべきではないか。」
「支援が必要か必要でないかをどう判断するか。一見、男手がいるお宅でも引っ越し費用を負担することが難しい方も、高齢者でも裕福な人もいるかもしれない」

基本的には僕らは僕らを必要としてくださる人がいれば、その方の状況に関係なくお手伝いをするし、なるべく一人ではどうしようもできない単身高齢者世帯の方を優先する、という程度のルール決めしかできず、状況に応じてケースバイケースで判断するしかありません。

この判断には、判断するリーダーの感性が問われるもので、とっても難しいものです。

今日もボランティアが朝に一名新たに来て、夜に一名去って行きました。去って行かれた方は、最後のあいさつのとき、「ボランティアには何か被災者の力になりたいという気持ちもあったが、もう一方で、自分にとって得るものがあるのではないかという思いで参加したことを改めて認識した」と言っていました。僕らの活動は、支援している方が得るものよりも、僕らボランティアが得るものの方が大きいのかもしれません。



宮古駅までの送迎は恒例になりつつある、猫バスで。


(真野)

1 件のコメント:

  1. 仕事の優先順位を判断することが大切なのでしょうね。でも、基本は頼まれればやる。我々を必要としている人には手を貸すということですね。「賢さ」と「愚直」の鬩ぎ合いになるのかもしれませんが、私は「愚直」を選ぶかもしれません。

    多分YMCAのスタッフは皆そう思っていると思いますが、ボランティア活動があるところでは、結果的に一番得るものが大きいのはボランティアです。でも決してそれが目的ではないのです。あくまでも、それは結果であって、目的は対象者の利益を望んでいなければなりません。
    まあ、こんなことは現地の方たちのほうがよくわかっていると思いますけど、今後参加される方たちの為に・・・。
    (角屋)

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